山岡家はもと岸和田藩の上級藩士で、尹方は明治維新後、
生活が苦しくなった士族たちに仕事を与えようと、
煉瓦製造業や水飴製造業をはじめますが、
うまくいかずに一度は失敗に終わりました。
明治11年に、最後の岸和田藩主岡部長職の依頼で
同志社大学創始者の新島襄が岸和田へ布教に訪れました。
尹方は新島の布教に積極的に協力し、やがて自ら岸和田
で最初の信者となり、同志社神学部に入学しました。
事業に失敗しましたが、聖書を読んで考え直し、
彼は再び事業経営に乗り出しました。
明治20年に第一煉瓦会社(後の株式会社岸煉)を設立、
西洋建築の流行にも乗り、会社は順調に成長を遂げました。
会社経営にはキリスト教の影響が強くみられ、
その製品には社章のクロスが刻印されています。
これを見に岸和田へ旅しに来ませんか?
岸たび編集局N