岸城神社は9月のだんじり祭で15町の
だんじりが宮入する神社として有名ですが、
明治維新まで天台宗東叡寛永寺の末寺「日光寺」
という宮寺がありました。(今の戎殿の右側)
小出氏が当時の岸和田城主であった頃、
同郷のよしみで、名僧沢庵和尚がたびたび
この寺を訪れています。
これを見に岸和田へ旅しに来ませんか。
岸たび編集局N
山岡家はもと岸和田藩の上級藩士で、尹方は明治維新後、
生活が苦しくなった士族たちに仕事を与えようと、
煉瓦製造業や水飴製造業をはじめますが、
うまくいかずに一度は失敗に終わりました。
明治11年に、最後の岸和田藩主岡部長職の依頼で
同志社大学創始者の新島襄が岸和田へ布教に訪れました。
尹方は新島の布教に積極的に協力し、やがて自ら岸和田
で最初の信者となり、同志社神学部に入学しました。
事業に失敗しましたが、聖書を読んで考え直し、
彼は再び事業経営に乗り出しました。
明治20年に第一煉瓦会社(後の株式会社岸煉)を設立、
西洋建築の流行にも乗り、会社は順調に成長を遂げました。
会社経営にはキリスト教の影響が強くみられ、
その製品には社章のクロスが刻印されています。
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元岸和田藩士である山岡尹方(やまおかただかた)が、
士族授産(しぞくじゅさん)事業として始めた煉瓦製造会社の煉瓦で、
明治5(1872)年の設立と非常に古く、明治20(1887)年に
第一煉瓦製造会社(後の岸和田煉瓦綿業→株式会社岸煉)
として設立されました。
(岸煉のレンガの塀がモニュメントとして残されています。)
岸煉製の煉瓦建造物は今でも日本各地に残っており、
旧山口県庁舎及び県会議事堂(現:重要文化財山口県政資料館)や、
同志社女子大学ジェームス館(現:国登録有形文化財)で
使用が確認されています。
この他、旧陸軍第10師団兵器庫(現:国登録文化財姫路市立美術館)、
JR山陽本線や、琵琶湖疎水(びわこそすい)の一部でも、
使用が確認されています。
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旧岸和田煉瓦 レンガ塀 勘太夫橋のたもとへ
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敷地は約8000㎡で広壮な回遊式日本庭園
に面して母屋が配置されており、庭園内
には山亭、残月亭、八窓席という3棟の
茶室が設けられています。
五風荘は、我が国の大工技術が最高度に
達した昭和初期の名建築であり、母屋の
他にも昭和11年に東大寺子院の中性院の門
を移築した表門、鎌倉時代中期の十三重の
石塔等もあり見どころも多く、貴重な地域
の文化財です。
そして、「カーネーション」のロケ地ともなりました。
新名所(?)の“奈津の石”もございます。
ここで、お食事も楽しみませんか?
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がんこ岸和田五風荘
カーネーション聖地巡礼
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「岸和田これ知ってるけ? 五風荘(1)」
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岸和田城の東南にある広大な敷地をもつ
五風荘は、もと城主岡部氏新御茶屋跡で
あったところ、昭和4年に紡績業で成功を収め
第17代岸和田市長を務めた寺田利吉氏が
大規模な造営工事を行い、昭和10年から茶室
12年から母屋の建築に着手し昭和14年に完成
した大邸宅です。
見学は無料。
平成21年から「がんこ五風荘」が開業、
お食事も楽しめます。
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がんこ岸和田五風荘
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岡山県生まれ。昭和を代表する作庭家。
(明治29年~昭和50年)
生涯で200あまりの作庭をしているが、
最初の代表作である東福寺の方丈庭園、
岸和田城八陣の庭、遺作となった京都松尾大社の
庭園と日本庭園界に多大の功績を残されました。
多彩な才能の持ち主で、茶道・華道についても
奥義を極めておられました。
是非、岸和田へ旅しに来ませんか?
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