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カーネーションを再び・・・

連続テレビ小説「カーネーション」がこの4月より、
NHK BSプレミアムにて全話再放送が決定しています。
さらに英語版も製作中とのこと。

これを機会に舞台となった岸和田へ旅しにでかけましょう!

「岸たび」ではロケ地や関連施設等を巡るコースも
皆様にご紹介します。

岸和田、カーネーション、オハラ洋装店

4月以降、カーネーション旋風が再び訪れるかも?!

「岸たび」は皆様に素敵な旅をお届致します。

ぜひ、岸和田へ旅しにきませんか。

詳しくはコチラ
カーネーション聖地巡礼

岸たび編集局K

岸和田これ知ってるけ?大好評!

岸和田、たび

岸和田の魅力を紹介する「岸和田これ知ってるけ?」
発行以来、お陰様で皆様に好評を得ています。
「岸和田これ知ってるけ?商工会議所パンフ発行!」

岸和田の旅の必需品です!
これを手に取り「岸たび」しにきませんか。

岸和田商工会議所に置いています。
数が少なくなってきておりますので、お求めはお早めに。

さぁ、岸和田を旅してみませんか。

詳しくはコチラ
「岸和田これ知ってるけ?」岸たびカタログ

岸たび編集局K

岸和田これ知ってるけ? 岸城神社

岸和田、旅行、神社

岸城神社は9月のだんじり祭で15町の
だんじりが宮入する神社として有名ですが、
明治維新まで天台宗東叡寛永寺の末寺「日光寺」
という宮寺がありました。(今の戎殿の右側)
小出氏が当時の岸和田城主であった頃、
同郷のよしみで、名僧沢庵和尚がたびたび
この寺を訪れています。

これを見に岸和田へ旅しに来ませんか。

岸たび編集局N

岸和田これ知ってるけ? 山岡尹方(やまおかただかた)

岸和田、旅行、八重

山岡家はもと岸和田藩の上級藩士で、尹方は明治維新後、
生活が苦しくなった士族たちに仕事を与えようと、
煉瓦製造業や水飴製造業をはじめますが、
うまくいかずに一度は失敗に終わりました。
明治11年に、最後の岸和田藩主岡部長職の依頼で
同志社大学創始者の新島襄が岸和田へ布教に訪れました。
尹方は新島の布教に積極的に協力し、やがて自ら岸和田
で最初の信者となり、同志社神学部に入学しました。
事業に失敗しましたが、聖書を読んで考え直し、
彼は再び事業経営に乗り出しました。
明治20年に第一煉瓦会社(後の株式会社岸煉)を設立、
西洋建築の流行にも乗り、会社は順調に成長を遂げました。
会社経営にはキリスト教の影響が強くみられ、
その製品には社章のクロスが刻印されています。

これを見に岸和田へ旅しに来ませんか?

岸たび編集局N

岸和田これ知ってるけ? 岸煉製の煉瓦

岸和田、旅、煉瓦

元岸和田藩士である山岡尹方(やまおかただかた)が、
士族授産(しぞくじゅさん)事業として始めた煉瓦製造会社の煉瓦で、
明治5(1872)年の設立と非常に古く、明治20(1887)年に
第一煉瓦製造会社(後の岸和田煉瓦綿業→株式会社岸煉)
として設立されました。
(岸煉のレンガの塀がモニュメントとして残されています。)
岸煉製の煉瓦建造物は今でも日本各地に残っており、
旧山口県庁舎及び県会議事堂(現:重要文化財山口県政資料館)や、
同志社女子大学ジェームス館(現:国登録有形文化財)で
使用が確認されています。
この他、旧陸軍第10師団兵器庫(現:国登録文化財姫路市立美術館)、
JR山陽本線や、琵琶湖疎水(びわこそすい)の一部でも、
使用が確認されています。

これを見に岸和田へ旅しに来ませんか?

■関連リンク
旧岸和田煉瓦 レンガ塀 勘太夫橋のたもとへ

岸たび編集局N

岸和田これ知ってるけ? 五風荘(2)

五風荘、岸和田、旅行

敷地は約8000㎡で広壮な回遊式日本庭園
に面して母屋が配置されており、庭園内
には山亭、残月亭、八窓席という3棟の
茶室が設けられています。
五風荘は、我が国の大工技術が最高度に
達した昭和初期の名建築であり、母屋の
他にも昭和11年に東大寺子院の中性院の門
を移築した表門、鎌倉時代中期の十三重の
石塔等もあり見どころも多く、貴重な地域
の文化財です。
そして、「カーネーション」のロケ地ともなりました。
新名所(?)の“奈津の石”もございます。
ここで、お食事も楽しみませんか?

これを見に岸和田へ旅しに来ませんか?

■関連リンク
がんこ岸和田五風荘
カーネーション聖地巡礼
カーネーション ロケ地巡礼

■関連エントリー
「岸和田これ知ってるけ? 五風荘(1)」

岸たび編集局N

岸和田これ知ってるけ? 五風荘(1)

岸和田、旅行、五風荘

岸和田城の東南にある広大な敷地をもつ
五風荘は、もと城主岡部氏新御茶屋跡で
あったところ、昭和4年に紡績業で成功を収め
第17代岸和田市長を務めた寺田利吉氏が
大規模な造営工事を行い、昭和10年から茶室
12年から母屋の建築に着手し昭和14年に完成
した大邸宅です。
見学は無料。
平成21年から「がんこ五風荘」が開業、
お食事も楽しめます。

これを見に岸和田へ旅しに来ませんか?

■関連リンク
がんこ岸和田五風荘

岸たび編集局N

岸和田これ知ってるけ? 重森三玲

岡山県生まれ。昭和を代表する作庭家。
(明治29年~昭和50年)
生涯で200あまりの作庭をしているが、
最初の代表作である東福寺の方丈庭園、
岸和田城八陣の庭、遺作となった京都松尾大社の
庭園と日本庭園界に多大の功績を残されました。
多彩な才能の持ち主で、茶道・華道についても
奥義を極めておられました。

是非、岸和田へ旅しに来ませんか?

岸たび編集局N

岸和田これ知ってるけ? 八陣の庭

岸和田、旅、城

お城に天守閣が未だ復元されていなかった時代、
何とか天守閣跡を保存しようと、京都より有名な
作庭師 重森三玲氏を招き昭和28年に完成した、
今では類例のない名庭園といわれています。

諸葛孔明の陣構えからとったもので、
石組みは大将軍を中心として周りに、
天、地、風、雲、鳥、蛇、竜、虎の各陣を配し
一分の隙なく象徴的に陣取り法を抽象化した
布石をしています。
岸和田城からの俯瞰も考慮しためずらしい作庭法です。

これを見に岸和田へ旅しに来ませんか?

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岸和田これ知ってるけ? 岡部藩

岸和田、藩主、たび

寛永17年(1640)高槻より岡部宣勝が岸和田城に
入城したのは、紀州徳川頼宣に異心あるとして、
その抑えのためといわれています。

(岡部家は徳川家と姻戚関係にあり特に信任が厚かった。)

各大名が頻繁に国替えされた時代、岸和田藩が
二百数十年の間13代、明治の廃藩置県まで
一度の国替えも無かったのはその故であると
いわれています。

これを見に岸和田へ旅しに来ませんか?

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