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まちあるきモデルコース「新島八重と岸和田」

2013年NHK大河“八重の桜”主人公の「新島八重」。
その新島八重と岸和田にはいろいろな関係があります。

岸和田煉瓦、泉南高等女学校、岸和田教会・・・
夫、新島襄とともに、なんども岸和田を訪れた新島八重。

そんな新島八重と岸和田のつながり、
新島八重が歩んだ「岸和田」をめぐってみませんか?

モデルコースルートマップ●モデルコース ルートマップ

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泉南高等女学校 ●泉南高等女学校跡(現 福祉総合センター)

大正6(1917)年1月22日、新島八重が来岸し、
「白虎隊」の講演をおこないました。

現在この地に残る“旧泉南高等女学校校舎”は、
新島八重が講演をした後の昭和12年に建設されたもの。
客船のようと表現される昭和モダンな旧校舎は、
戦前に建てられ現存する貴重なモダニズムの名建築です。

所在地 岸和田市野田町1-5-5

岸和田煉瓦本社工場跡 ●岸和田煉瓦(株) 本社工場跡

岸和田煉瓦(株)は、元岸和田藩士である
山岡尹方(やまおかただかた)が、明治20(1887)年に
第一煉瓦製造会社として設立しました。
その全身は明治15(1872)年に創設された
煉瓦製造会社(士族授産事業として始められた)で、
日本の煉瓦産業の先駆的事業として注目されます。

山岡尹方は新島八重の夫 新島襄が岸和田へ
キリスト教布教活動に訪れた際、新島襄の布教に
積極的に協力し自ら岸和田で最初の信者となりました。

所在地 岸和田市並松町25-17

勘太夫橋 勘太夫橋 岸煉レンガモニュメント

大阪ミュージアム構想にも登録される、レンガ塀。
塀に使用されているレンガは岸和田煉瓦製で、
レンガの表面には岸和田煉瓦(株)の社章である
「セント アンドリュー クロス」の印が刻印されている。

岸煉のレンガは高品質で耐久性があるとされ、
国重要文化財の「旧山口県庁舎」や
同志社女子大学ジェームス館など、
日本各地で使用されています。

所在地 紀州街道(岸和田市並松町19-16付近)

岸和田藩校講習館跡 ●岸和田藩校講習館跡

新島八重に影響を与えた「吉田松陰」は幕末の激動する
時代に長州藩を脱藩し、水戸、会津(日新館の見学)など
諸国を回り、先進の藩校などの視察や日本のあり方を
論議して歩いていた。

そんな中、吉田松陰は岸和田藩校講習館の館長だった
相馬九方の意見を聞くために岸和田を訪れ、
講習館の一室で徹夜で論議を交わしました。

所在地 岸和田市北町16-14

吉田松陰止宿地 ●吉田松陰 止宿地(久住家住宅)

吉田松陰が黒船への最初の密航を企てて
失敗する数ヶ月前、相馬九方をたずね来岸。
塩屋平衛門宅(紀州街道の久住家)に10日間滞在しました。

久住家住宅(吉田松陰の止宿地)のある紀州街道
本町地区は、歴史的なまちなみを保全し
今も歴史ある美しい町並みが残ります。

所在地 紀州街道 まちづくりの館 向かい(岸和田市本町)

岸和田城 岸和田城

新島八重の夫 新島襄に岸和田でのキリスト教布教を
依頼した、岸和田藩13代藩主 岡部長職の居城。

文政10(1827)年に天守閣が落雷で焼失。
現在の天守閣は、昭和29年に再建されました。

所在地 岸和田市岸城町9-1

岸和田教会 ●岸和田教会

明治18(1885)年に設立され大阪では五番目に古い
プロテスタント教会で、本町の紀州街道沿いに設立されました。

何度かの移転ののち、大正9年に現在地
(かつての山岡家の地所)へ移りました。

所在地 岸和田市岸城町28-15